第11回(2017年)日本物理学会若手奨励賞(素粒子論領域)

受賞者は牧野広樹氏、横倉祐貴氏、濱田雄太氏の3氏です。

受賞者:牧野広樹(九州大学)
対象業績;「グラディエントフローを用いた、格子場の理論におけるエネルギー・運動量テンソルの構成」
対象論文:
[1] “Lattice energy-momentum tensor from the Yang-Mills gradient flow---inclusion of fermion fields,” Hiroki Makino and Hiroshi Suzuki, PTEP 2014 (2014) 063B02.
[2] “Renormalizability of the gradient flow in the 2D O(N) non-linear sigma model,” Hiroki Makino and Hiroshi Suzuki, PTEP 2015 (2015) 033B08.
受賞理由:
格子場の理論は、素粒子物理学において非摂動効果を計算する最も強力な方法として、様々な場面で必要不可欠な計算手段になっている。しかし、この方法では時空を格子で近似するという手法をとるため、並進対称性のネーターカレントとして現れるエネルギー・運動量テンソルをうまく扱うことができないという欠点があった。
 最近、この問題にグラディエントフローと呼ばれる手法が使えるのではないかと指摘され、活発に研究されている。これは、裸の場の変数に対してグラディエントフローによる変形を施すことにより、繰り込まれた複合場を自動的に構成しようというものである。この手法を用いてエネルギー・運動量テンソルを構成しようという提案は、Yang-Mills 場のみを含む理論においては牧野氏の共同研究者である鈴木氏によってなされた。
 牧野氏の業績は、フェルミオンが入った理論においてもグラディエントフローの手法を用いてエネルギー・運動量テンソルを構成できることを示したもの、およびO(N)非線形シグマ模型におけるグラディエントフローの繰り込み可能性の証明・エネルギー・運動量テンソルを構成を行ったものである。これらは鈴木氏の結果の自然な拡張のようにも見えるが、非常に非自明な結果である。フェルミオンを含んだ理論の場合には、フェルミオンの場にグラディエントフローによる変形を施しても、繰り込まれた有限な場にはならないという本質的な困難がある。O(N)非線形シグマ模型の場合も同様にグラディエントフローによる変形が有効であるかは一見明らかではない場合である。これらの場合について、グラディエントフローの手法の有効性を証明した牧野氏の業績は高く評価できる。
 当該研究において、牧野氏は主導的な役割を果たしている。また、牧野氏らのフェルミオンが入った場合についての結果を用いて、最近有限温度の格子ゲージ理論の数値的研究が行われており、将来さらに様々な発展が見込まれる。これらの理由により、牧野氏は若手奨励賞にふさわしいと判断した。

受賞者:横倉祐貴(理化学研究所)
対象業績:「ブラックホールのエントロピーに関する研究」
対象論文:
[1] “Interior of black holes and information recovery,” H. Kawai and Y. Yokokura, Phys. Rev. D93 (2016) 044011.
[2] “Thermodynamic entropy as a Noether invariant,” S. Sasa and Y. Yokokura, Phys. Rev. Lett. 116 (2016) 140601.
受賞理由:
2本の受賞論文は、ブラックホールのエントロピーに関係する問題を異なる観点で扱っている。ブラックホールは古典(論)的には地平面と特異点を持ち、地平面における量子効果を考慮に入れると輻射をともなう黒体のように振る舞うと考えられている。しかし、情報喪失問題などに代表されるように、量子論的なブラックホール、さらには、その時空解釈に関しては、未だに統一的な理解が進んでいない。第一論文では、熱浴中で準静的にブラックホールが形成される過程を半古典近似の範囲で解析している。この時、適当な条件のもとではself-consistentに解析が可能であり、Hawking輻射を再現しながら地平面も特異性も存在しないという結果を得ている。このようなブラックホールの理解が正しいものであるかは今後のさらなる研究によると思われるが、従来の標準的な見方を変えうる興味深い結果である。
 第二論文では、ブラックホールのエントロピーがネーター保存量として定式化できることから着想を得て、通常の非常に大きな自由度を持つ古典系力学系において、配位空間の軌道を熱力学の準静的過程に対応すると考えられるものに制限することにより、系のエントロピーが時間推進対称性に付随するネーター保存量として表されることを示した。これは、ブラックホールの熱力学と通常の熱力学との対応をより深いレベルまで推し進めたもので、今後大きく発展する可能性がある。このように両論文とも、独創性にあふれた今後の発展が大きく期待される興味深い内容であり、若手奨励賞にふさわしいと判断した。

受賞者:濱田雄太(高エネルギー加速器研究機構)
対象業績:「ヒッグス粒子発見に基づく素粒子標準模型を超える物理に関する研究」
対象論文:
[1] “Bare Higgs mass at Planck scale,” Y. Hamada, H. Kawai, K. Oda, Phys. Rev. D87 (2013) 053009.
[2] “Higgs inflation still alive,” Y. Hamada, H. Kawai, K. Oda, S.C. Park, Phys. Rev. Lett. 112 (2014) 241301.
[3] “Eternal Higgs inflation and cosmological constant problem,” Y. Hamada, H. Kawai, K. Oda, Phys. Rev. D92 (2015) 045009.
受賞理由:
LHC実験によりヒッグス粒子が発見され、その背後にある枠組みを探求することが素粒子理論の大きな目標となっている。その考察の最も重要な鍵となるのがヒッグス粒子の質量である。
 濱田氏の一連の研究では、ヒッグス粒子はほとんどゼロ質量の粒子として弦理論から直接あらわれた可能性を考察している。低エネルギー有効理論(標準模型)のパラメータにその痕跡を探し出す研究や、宇宙のインフレーションとの整合性、それから、ヒッグス粒子が弦理論のモジュライ場である可能性を実際に弦理論を用いて議論する研究など、様々な観点から研究を行い、その整合性を吟味している。
 第一論文では、標準模型において、ヒッグス場質量項の2次発散部分の計算を詳細に行った。この発散部分は紫外カットオフが大きい場合は、裸の質量とほぼ完全に相殺されるものである。濱田氏らは、その裸の質量を定義し、紫外カットオフ依存性を評価することにより、裸の質量がプランクスケール付近のときにゼロになることを発見した。この発見は、弦理論などのプランクスケールを超えた物理に対する一つの条件を与える可能性があり、興味深い結果であると言える。
 第二論文では、ヒッグス場が宇宙のインフレーションを引き起こす可能性、いわゆるヒッグスインフレーションについての研究である。それまでの研究で、ヒッグスインフレーションは宇宙背景輻射の観測と矛盾なく引き起こされるためにはヒッグス場とリッチスカラーの結合定数がO(10000)程度の大きな値が必要であるとされていた。濱田氏らの研究では、トップクォーク質量が171GeV付近であれば、ヒッグス場のポテンシャルは場の値が大きなところで平坦になり、そのリッチスカラーとの結合定数がO(10)程度であってもインフレーションが引き起こされることを指摘した。今後の宇宙背景輻射の観測や、トップクォークの質量測定によって検証が進むであろう興味深い可能性である。
 第三論文では、第一論文、第二論文の結果を踏まえて、ヒッグス場が弦理論におけるモジュライ場である可能性を考察している。ヒッグス場の値をプランクスケールを超えて大きくしていくと、相互作用のない自由な理論へ向けたrun awayポテンシャルとなり、その状況では、インフレーションの初期条件をあたえるトポロジカルインフレーションが起こることを提唱した。また、FroggattとNielsenの提唱したMultiple Point Criticality Principleを適用すると、この状況は宇宙項問題の解を与えることも主張している。
 どの論文も、これまでの素粒子論の常識を超えた高い視点からヒッグス場の起源を探る研究であり、興味深い結論を得ている。どの研究も、オリジナリティーがあり、また物理学の大きな発展を目指した意欲的な研究である。これらの理由から、濱田氏は若手奨励賞にふさわしいと判断した。