第14回(2020年)日本物理学会若手奨励賞(素粒子論領域)

受賞者は玉岡幸太郎氏、杉下宗太郎氏、楠亀裕哉氏の3氏です。

受賞者:玉岡 幸太郎(京都大学 基礎物理学研究所)
対象業績:「混合状態の量子もつれを測る新たな量子情報量の導入」
対象論文:
[1] “Entanglement Wedge Cross Section from the Dual Density Matrix,”
K. Tamaoka, Phys. Rev. Lett. 122 (2019) no.14, 141601.
受賞理由:
 エンタングルメント・エントロピーは純粋状態の量子もつれを測る有効な指標であり、また近年では「笠-高柳公式」を通して量子もつれにより時空の構造を探る手法としてホログラフィー原理の解明に重要な役割を果たしている。一方、熱揺らぎなどの古典的な相関を持つ混合状態では、エンタングルメント・エントロピーは状態の持つ量子もつれのみを測ることができない。これに対応して、笠-高柳公式もまた混合状態では時空の一部しか記述できないことが知られている。ごく最近になり混合状態の純粋な量子もつれを測るため「エンタングルメントウェッジ断面積」と呼ばれる笠-高柳公式の一般化が梅本-高柳と別のグループにより提案され、この量が「純粋化量子もつれ」 (entanglement of purification) と呼ばれる量子情報量と等価であることが予想された。エンタングルメントウェッジ断面積は反ド・ジッター時空中のある曲面の面積として得ることができるが、純粋化量子もつれは場の量子論において具体的な計算が困難なため、この予想はこれまでのところ定性的な検証しかなされていない。
 応募論文で玉岡氏は純粋化量子もつれに代わる混合状態の量子もつれを測る新たな量子情報量として「奇数エンタングルメント・エントロピー」を導入し、それが笠-高柳公式の一般化であるエンタングルメントウェッジ断面積を与えることを予想した。またホログラフィー原理を通して重力理論と双対となる2次元共形場理論の奇数エンタングルメント・エントロピーを計算し、エンタングルメントウェッジ断面積と一致することを定量的に示した。これらは場の量子論からエンタングルメントウェッジ断面積を導出した初めての例である。
 玉岡氏の導入した奇数エンタングルメント・エントロピーはホログラフィー原理の理解に役立つのみならず、場の量子論でも計算可能な量子情報量として今後様々な分野への応用が期待される。これらの独創的で重要な結果が高く評価された。

受賞者:杉下 宗太郎(University of Kentucky)
対象業績:「量子電磁力学における漸近対称性・軟光子定理・メモリー効果と赤外発散問題」
対象論文:
[1] “Coservation laws from asymptotic symmetry and subleading charges in QED,”
H. Hirai and S. Sugisita, JHEP 1807, 122 (2018).
[2] “Dressed states from gauge invariance,”
H. Hirai and S. Sugisita, JHEP 1906, 023 (2019).
受賞理由:
 第一論文では、4次元の量子電磁力学(QED)における漸近対称性(asymptotic symmetry)・軟光子定理(soft photon theorem)・メモリー効果という三者の間の関連性に関する研究が行われている。特に、これまでの先行研究からこれら三者の等価性が示されてきたが、漸近対称性の保存則に対するWard-高橋恒等式から直接メモリー効果を導出することを具体的に実行した文献はなく、この論文で初めて示された。さらに、質量をもつスカラー場に対して漸近対称性のWard-高橋恒等式からsubleading orderでの軟光子定理を初めて導出した。
第二論文では、QEDの赤外発散の問題に関する研究が行われている。QEDの赤外発散の問題はよく知られており、これまでいくつかの処方箋が提案されている。このような処方箋のうち、Kulish-Faddeevが与えたドレス化状態(dressed state)による定式化について、この論文では考察している。特に、QEDにおける物質場の漸近場が自由粒子状態ではなく、軟光子との相互作用状態にあることが、QEDの赤外発散と関係しているが、この効果を九後-小嶋の物理的条件によって漸近場状態に自然に取り込めることをこの論文では示している。これにより、Kulish-Faddeevが与えたドレス化状態に対する物理的条件に微妙な点があることが明快になった。
これらの両論文において杉下氏の第一原理に基づいた無理のない自然な方法でエレガントに定式化する手法が高く評価された。

受賞者:楠亀 裕哉(京都大学 基礎物理学研究所)
対象業績:「ライトコーン極限における二次元共形ブロックとその応用」
対象論文:
[1] “Light cone bootstrap in general 2D CFTs and entanglement from light cone singularity,”
Y. Kusuki, JHEP1901, 025 (2019).
受賞理由:
 二次元共形対称性の研究は、主に中心電荷cの小さい(c<1)領域で行われてきており、長い歴史を持っている。ただし、ゲージ/重力対応への応用には中心電荷の大きい領域が重要であり、そこでの性質は未知の部分が数多く残されている。一方、ブートストラップ法の開発など、近年高次元共形場理論において大きな発展が為されている。楠亀氏は論文において、高次元における発展を応用することで、二次元共形ブロックの普遍的な性質を定量的に明らかにしている。
 ブートストラップ法は主に数値計算を利用しているが、ライトコーン極限では解析的な研究が可能となる。ただし、共形対称性が無限次元に拡張するなど二次元の特殊性があり、応用は自明ではない。共形ブロックの閉じた形での表式は得られていないが、共形ブロックを異なるチャンネルに変換するときの変換公式は厳密な形で知られていた。論文ではこの事実に注目し、ライトコーン極限を取ることで、共形ブロックの漸近形を得ることに成功している。中心電荷(c>1)について厳密な表式となっており、挿入した演算子の共形次元に依存した相転移的な現象を再現している。また、スピンの大きな状態のツイスト(共形次元からスピンを引いたもの)が、普遍的な形を持つことも導いている。この結果は高次元の場合の一般化とみなせ、同様の解析は北米のグループによりほぼ同時期に行われている。さらにこれらの解析を、Renyiエントロピーなど量子情報量の解析へと応用している。
 楠亀氏は、独自の方法を開発することで二次元共形ブロックの漸近形を得ており、方法も結果も幅広い応用が期待できる。それだけでなく、量子情報量など物理的な問題にも広く取り組んでいる点も高く評価された。